ホロライブにおける「スウジー」文化

ホロライブはVTuber界でもトップクラスの人気を誇る一大グループですが、その急成長の裏で「数字(スウジ)」への過剰な執着を見せる一部ファンの存在が指摘されています。
匿名掲示板の5chやSNS上では、配信の同時視聴者数やチャンネル登録者数など“数値”ばかりに注目し、推しの優劣を競ったり他者を攻撃したりする風潮がしばしば見られます。
いわゆる「スウジー」と呼ばれるこの現象は、ファンコミュニティにどのような影響を及ぼしているのでしょうか。
本記事では、「スウジー」という用語の起源と意味、ホロライブ界隈での具体的な言動例、コミュニティへの影響、運営・タレント側の対応、数字至上主義的な態度が生まれる背景、そして賛否両論の意見や関連する事件について、現状の議論をもとに詳しく解説します。

「スウジー」という用語の起源と意味

「スウジー」とはネットスラングの一種で、配信の同時接続者数(同時視聴者数)や登録者数、再生回数などの数字指標ばかりを気にして、それだけで「誰がすごい」「誰がダメ」と評価を下す人を指す蔑称です。
もともとは「数字厨(すうじちゅう)」と呼ばれていた文化で、英語圏のスラング“Numberfag”(順位や成績など数字ばかり気にする人)に由来する表現が日本に持ち込まれたものとされています。
その派生として5ちゃんねる等では「数字」をもじった「スウジー」というカタカナ表記が使われるようになりました。
つまりスウジー=数字厨であり、VTuber文脈では「配信者の人気や実力をすべて数値でしか判断しない人」というニュアンスになります。

この言葉は匿名掲示板5chやVTuberまとめサイトなどネット界隈特有のスラングであり、日常会話や一般のファン同士の会話で使われることはまずありません。
実際、「スウジーって一般用語なの?」という質問に対し、「確実に5ch・アフィ用語」「口に出して言ってる人は初めて見た」という回答があるほどで、完全にネット内の内輪用語だと認識されています。
したがって、ホロライブファンの中でも5chやまとめサイトを見ない層には通じない言葉ですが、ネット掲示板やSNS上では近年この「スウジー」という表現が頻繁に用いられるようになっています。

ホロライブにおける代表的な「スウジー」的言動

ホロライブ界隈では、スウジー的な言動として配信視聴数や登録者数の増減に敏感に反応するファンの姿が散見されます。
例えば、新衣装披露や大型コラボ配信の同接(同時接続者数)が記録更新すれば「◯◯の配信が○万人を突破した!」と掲示板やTwitterで大騒ぎし、他グループや他メンバーと数字を比較して優劣を語るといった光景が典型的です。
あるメンバーのYouTubeライブ視聴者数が一時的に落ち込めば「〇〇はオワコン(終わった存在)か?」と数字だけを根拠に過剰に反応し、逆に別のメンバーがバズって視聴者数を伸ばすと「○○大勝利!」と数字上の“勝敗”を煽るようなコメントが飛び交います。

ホロライブファンの間では、メンバーの人気を数字でランク付けするような俗習もあります。
例えば非公式に「ホロライブ一軍」「二軍」などと呼称し、主に同接平均や登録者数の多さでメンバーを格付けするような表現です。
常に高い同接を維持するトップ層のメンバーは「同接お化け」「ホロライブ一軍」と称賛まじりに呼ばれ、反対に下位のメンバーは「二軍」「三軍」と揶揄されたりします(あくまでファンコミュニティ内の俗称です)。
こうしたランク付けは公式のものではありませんが、ファン有志が「箱(グループ)の強さランキング」を作成して「Sランク=ホロライブ、Aランク=にじさんじ…」と比較した例もあり、グループ間・メンバー間で数字の優劣を競う風潮が根付いていることが伺えます。

また、一部の熱心なホロライブファンは毎日の配信視聴者数やスパチャ(金額)をデータとして集計し、それを基に議論することさえあります。
事実、5ch内のホロライブ系スレッドでは深夜0時になると決まって「集計人」と呼ばれるユーザーが登場し、その日配信されたVTuberの同接ランキング一覧をコメント欄に投稿するという半ば“名物”化した現象があります。
この「集計人」は2021年夏ごろから現れ始めたとされ、7月中旬の記事コメント欄から急に出現が確認されています。
ちょうどその時期はにじさんじ甲子園(他社の大型イベント)で界隈全体が盛り上がりを見せた頃で、以降ホロライブを含むVTuber界隈で数字を競い合う文化に拍車がかかったと分析されています。

こうした動きに対し、界隈では「数字ガチ勢」「スウジー」といった言葉で揶揄する声もあります。
例えば5chでは視聴者数を伸ばすことに意欲的なホロライブタレントについて「あの人は数字に貪欲だ」などと話題になることがあり、極端な場合「○○(タレント名)は数字○○」といった露骨な蔑称で語られることもあります。
一方でファン同士では「〇〇は同接すごいから安心感あるよね」「△△はもっと数字出てもおかしくないのに」といった数字をベースに推しの話題をすることも日常的に行われており、必ずしも悪意だけではなく統計的なおもしろさとして楽しんでいる層も存在します。

「スウジー」がもたらすリスナーコミュニティへの影響

ホロライブにおける数字至上主義的な風潮は、ファンコミュニティにさまざまな影響を及ぼしています。
良くも悪くも「数字」が会話の中心になることで、ファン同士の結束や競争心が高まる一方、摩擦や対立も生じやすくなっています。

まず顕著なのは、他者の推し(お気に入りのVTuber)を数字で叩く行為です。
いわゆる「推し叩き」の一種で、「○○は最近同接が伸びていない」「△△の登録者増加ペースは遅い」などと、数字の低さを理由に他のメンバーやそのファンを見下す発言が飛び交います。
これによりファン同士がいがみ合ったり、推しを貶められた側が怒って言い返すといった不毛な争いがエスカレートするケースが後を絶ちません。
本来であれば推しを愛でるはずのコミュニティ内で、数字を巡るマウントの取り合いが起こり、空気がギスギスしてしまうのは大きな弊害です。

さらに、ホロライブと他社(特ににじさんじ)とのファン対立も数字競争が火種となっています。
2020年以降ホロライブが爆発的な人気上昇を遂げる中で、一部ホロライブファンが「ホロライブのほうが同接も登録者も上」「業界トップはホロライブだ」と数値を根拠に他グループを挑発するような発言をし、それに反発したにじさんじ側のファンが応酬するといった現象が起きました。
実際、VTuber系のアンチまとめサイトでは記事内容と無関係にホロライブ vs にじさんじの数字論争がコメント欄で白熱しており、ホロライブの配信実況や数字マウント合戦が常態化していました。
特に2021年夏頃には、ホロライブ側では桐生ココ卒業関連配信で11万超えの同接を記録し、にじさんじ側も夏の甲子園イベントで大型視聴数を叩き出すなど互いに話題が大きかったため、数字を“武器”にした煽り合いが激化しました。
匿名掲示板のコメント欄には「ホロライブの同接を持ち出せばにじさんじファンを煽れる」といった空気が生まれ、実際にホロライブの高視聴者数が強固なマウントの材料として盛んに使われたと指摘されています。
このように数字比較による箱同士の対立煽りは、ファンコミュニティ全体の分断を深め、界隈の雰囲気を悪化させる一因となっています。

また、「数字至上主義」はファンのみならずタレント本人や運営にも心理的圧力を与えかねません。
ファンの間で「最近〇〇は数字落ち目だ」と騒がれる状況は、本人の耳にも届けばプレッシャーになるでしょうし、実際に配信中のチャットやTwitterリプライでそうした声が届いてしまうこともあります。
数字の増減が過剰に取り沙汰されることでコンテンツ内容よりも結果(数値)ばかり注目される風潮が強まると、配信者にとっては心ない比較や批判にさらされるリスクが高まります。

例えばあるホロライブタレントが起こした企画上のトラブル(ヤラセ疑惑)の後、しばらく同接が減少傾向になった際には、「事件後も数字が回復せず下がり続けているのはなぜだ?」といったスレッドが立ち、ファンからも「謝罪しない限り沈静化しない」「面白くないから人が離れたのでは」など辛辣な意見が多数書き込まれました。
中には「数字や好感度で誤魔化されてきた部分が大きいから、問題が起きたら一気に人が離れる」という指摘もあり、人気=数字の裏付けという図式が崩れた途端に手のひらを返される状況が浮き彫りとなりました。
このようなケースでは、ファンコミュニティが数字の話題一色となって当人へのバッシングが過熱し、建設的な議論や応援の声がかき消されてしまう副作用も生じています。

以上のように、「スウジー」的な文化はファン同士の対立やコミュニティの過激化を招きやすく、時にはタレント自身の負担にもつながりかねない問題として認識されつつあります。
ファンコミュニティにおけるモラル低下を懸念する声も強く、「ホロライブの一部信者の民度の悪さがVTuber嫌いを生んでいる」という指摘さえ一般層から出ている状況です。
ホロライブ全体のイメージにも関わる問題として、運営やファン有志による改善の模索が求められていると言えるでしょう。

ホロライブ運営・タレント側の対応やスタンス

ホロライブ運営および所属タレントたちは、この「数字」問題に対してどのような姿勢を取っているのでしょうか。
まずカバー株式会社(ホロライブの運営母体)のスタンスとして公表されているのは、公式に配信ノルマや数値目標を課すことはしていないという点です。
実際、ホロライブ所属の大神ミオはファンから「ホロライブにノルマはあるのか?」と尋ねられ、「ホロライブには配信ノルマはありません。会社から数字に関して何か言われたことは一度もないです」と明言しています。
同時接続数や登録者数の上下に関して運営側からメンバーへ圧力がかかったこともまったくないとのことで、ホロライブは基本的にタレントの自主性に委ねる方針で運営されているようです。
また、「月に○回コラボしなさい」「週何回配信しなさい」といった具体的ルールもなく、活動スタイルは各メンバーの判断に任されていることも語られました。
公式には過去に「登録者○万人で3Dモデルお披露目」等の目標設定が存在したこともありましたが、現在ではそうした数値条件は撤廃されており、運営として数よりコンテンツやタレントの自由を尊重する姿勢を打ち出しています。

もっとも、運営が数字に全く関心がないわけではありません。
事実、ホロライブの公式発表や企業戦略を見ると、「〇〇さんがYouTube登録者○○万人を突破しました」「ホロライブ全体の月間再生回数が○億回に達しました」といった数値の実績をアピールする場面が多々あります。
カバー株式会社が発行するプレスリリースや決算説明資料でも、タレントの登録者数の推移やスーパーチャット収益ランキングなど具体的な数字データが頻繁に用いられています。
このため一部ファンからは「カバーはずっと数字の話ばかりしている。スウジーが過ぎるのではないか」と揶揄する声も出ています。
しかしその指摘に対しては「株式会社である以上数字にこだわるのは当然」という擁護もあり、企業としては健全な経営戦略の一環として数字目標を追うことは必要不可欠でしょう。
要は、運営視点とファン視点で“数字”への捉え方が異なるということです。
運営はビジネス上の指標として数字を重視する一方、ファン間では娯楽的関心やマウント材料として数字が独り歩きしている側面があります。

タレント側の態度としては、人それぞれではあるものの公の場で露骨に数字に言及することは少ない印象です。
ホロライブメンバーの配信ルールにも「他の配信者の名前や数字を出さない」「○○は今○人観てる等の情報を持ち込まない」といった不文律が存在し、数字比較は話題にしないのがマナーとなっています。
実際、多くのメンバーはコラボ相手との比較や他所との優劣について触れることを避け、あくまで自分のチャンネルの成長をマイペースに喜ぶ姿勢を見せています。
定期的に行われる登録者○○万人耐久配信など、節目の数字をリスナーと一緒に祝う企画はありますが、それもあくまで応援してくれたファンへの感謝が主旨であり、「誰それに勝った」「業界何位になった」といった競争心をあおる発言は慎んでいるように見受けられます。

もっとも中には、数字への意識を垣間見せる発言をするタレントも存在します。
たとえば配信頻度の高いメンバーが「伸び悩んで焦る気持ちはある」と漏らしたり、新人メンバーが「〇〇先輩に追いつけるよう頑張りたい」と目標を語る場面では、数字への意識が背景にあることが伺えます。
しかし彼女らは総じて「比較して焦るのは自分の問題であって、運営から言われることはない」といった旨を語っており、仮に数字を気にするとしても自己責任や自助努力の範囲に留めているようです。
ホロライブタレントたちは数字のプレッシャーと向き合いながらも、表向きにはファンに対して「楽しい配信を届けたい」「みんなと歩んできた結果がこの数字だ」と前向きに捉える発言が多く、数字で他者を攻撃したり嘆いたりする姿勢は極力見せないよう配慮しているように感じられます。

数字至上主義的な視聴態度の背景

そもそも、なぜここまでVTuberファンは数字にこだわってしまうのでしょうか。
その背景にはプラットフォームや文化的要因が複合的に存在しています。

第一に、プラットフォーム(YouTube)の仕組みが挙げられます。
YouTubeでは登録者数や視聴回数が誰の目にも見える形で表示され、同接数もライブ配信中にリアルタイムで表示されます。
これにより視聴者は嫌でも数字を意識してしまいやすく、「今日は○○人観ている」「△△さんはチャンネル登録者○○万人もいる」といった比較が可視化された指標として簡単に行えてしまいます。
さらにYouTubeのおすすめアルゴリズムやトレンド表示も再生数の多い順に並ぶ傾向があり、数字が大きいコンテンツ=人気・話題性があるという図式をユーザー側に刷り込む面があります。
その結果、ファン心理としても「数字が多い=勝っている・成功している」「数字が少ない=負けている・注目されていない」という発想が生まれやすくなっているのです。

第二に、オタク文化における競争・ランキング思考の伝統があります。
実は「数字でマウントを取る」という文化はVTuberに限った話ではなく、古くからネットのオタク界隈に存在していました。
例えばゲームハードの派閥争いで販売台数を競う「ゲハ戦争」や、アニメの円盤売上部数を比較して作品の優劣を議論する流れなどがその典型です。
オタク趣味の世界では、自分の推す作品やキャラの人気を客観的指標で証明したがる心理が少なからずあり、数字は最も分かりやすい指標として使われてきました。
VTuber界隈にもそうした風潮が持ち込まれ、ファンたちは推しグループ・推しVTuberの人気度合いを示す手段として登録者数や同接数を用い、「数字=推しの実績」と見なすようになったと考えられます。

第三に、コミュニティ内の競争心や承認欲求も背景にあります。
ホロライブのように人気が拡大すると、ファンも増える反面ファン同士で「誰が一番か」を競いたがる層が出てきます。
数字は客観的な順位付けを可能にするため、応援合戦がそのまま数字合戦に置き換わりやすいのです。
推しが業界トップになれば自分まで誇らしい──そんな承認欲求が、推しの活躍を数字という形で証明したい心理に繋がっている側面もあるでしょう。
特にホロライブはグループとしても躍進著しく、「VTuber界の覇者」「○○記録達成」など称される機会が増えたため、ファンもその勢いに乗ってスポーツチームの優勝を喜ぶかのように数字の勝敗に熱狂する雰囲気が醸成されたように思われます。

最後に、外野の煽りやメディア要因も無視できません。
VTuberまとめサイトなど一部のアフィリエイト系ブログは、数字の話題を取り上げると閲覧数が稼げるため、敢えて「〇〇が同接で△△に圧勝!」といった煽情的な記事タイトルを付けて対立を煽る傾向があります。
「オタクどころか一般人もそうだぞ」「この世は全部“数字”だけど」といった声もあるように、ネット全体で数字比較が娯楽化している面もありますが、その裏ではアフィブロガーが対立構造を煽って食い扶持にしているという指摘もあります。
実際、「アフィがそれで対立煽って飯食ってるから」とユーザーが揶揄する場面もあり、ファン心理を焚き付けているメディア側の存在が数字至上主義の加速装置になっていることも事実でしょう。

以上のように、「スウジー」的態度の背景にはプラットフォーム上の可視化された競争構造と、オタク文化由来のランキング信仰、そしてファン心理や外部要因が絡み合っています。
ホロライブの場合、その爆発的人気ゆえに特に数字が極端な形で現れやすく、それがさらにファンの数字志向を強めるという正のフィードバックが働いてきたと言えるかもしれません。

賛否両論の見解(スウジー擁護派・批判派の意見)

「スウジー」文化については、ファンの間でも擁護派と批判派で意見が分かれています。
ここでは代表的な主張を整理してみましょう。

擁護派の意見としてまず挙がるのは、「数字を気にするのは当たり前」という考え方です。
この立場の人々は、「スポーツだって得点を競うし、会社だって売上数字を伸ばすために頑張っている。世の中すべて数字で動いている以上、VTuberの人気を数字で語るのも当然だ」と主張します。
確かに、チャンネル登録者数や同接数といった指標は人気や注目度を測る分かりやすい物差しであり、ファンがそれを誇りに感じたり話題にしたりするのは自然な感情でしょう。
「数字を追いかけるのは推しを応援している証拠」「記録が出れば一緒に喜びたい」という声もあり、推しの活躍を数字という形で共有して楽しむのはファン活動の一環だと捉える向きもあります。
また、「データとして数字を見るのが単純に楽しい」「分析好きにはたまらない」といった、統計的なおもしろさを追求する層も存在します。
彼らにとっては同接や再生回数の推移を追うこと自体がひとつの趣味であり、「数字弄り楽しい!」という冗談交じりの声が海外ファンから上がるほど、この行為をゲーム的に楽しんでいる面もあるのです。

一方、批判派の意見は「数字ばかりに囚われるのは有害」というものです。
この立場では、数字至上主義はファンコミュニティの雰囲気を悪くし、推しへの純粋な応援を妨げると指摘されます。
「誰が一番とか数字で比べ始めたらきりがないし、コンテンツそのものを楽しめなくなる」といった声や、「数字に敏感な連中が界隈を荒らしている」という批判が根強くあります。
特に第三者が他人の推しの数字をネタにあれこれ論評する行為に対して、「当事者でない部外者が数字を比較して議論するのはVTuber本人たちにとって害悪でしかない」という強い非難も出ています。
また、数字に固執するあまり誹謗中傷やデマ拡散に走るケースも問題視されています。
数字の増減があると必要以上に煽り立てる風潮は、時として根拠薄弱な「〇〇はオワコン」「△△は買収で数字盛っているに違いない」などデマ交じりの中傷に発展しがちです。
批判派は「そうした行為が推しやファンの心を傷つけ、界隈全体の評判を落としている」と懸念しており、特にホロライブほどの大手になると世間の目も厳しいため、一部過激ファンの数字マウントがホロライブファン全体の印象を悪くしているとの指摘もあります。

このように、「スウジー」文化には一理あるとする擁護意見と、害しかないとする批判意見が対立しています。
擁護派は「ファン心理として自然」「成功を数字で喜ぶのは悪くない」とし、批判派は「度が過ぎれば有害」「数字では測れない大事なものがある」と主張します。
いずれの立場にせよ、行き過ぎた数字至上主義が摩擦を生んでいる現状は共通認識としてあり、「適度に楽しむ分には良いが、人を傷つける道具にしてはいけない」という折衷的な意見も聞かれます。
結局はファン各自のリテラシーとモラルの問題であり、数字との向き合い方にも節度が求められるという点では一致していると言えるでしょう。

関連する事件・騒動の例

ホロライブにおける数字絡みのエピソードや騒動もいくつか知られています。
ここでは代表的な例をいくつか挙げます。

桐生ココ卒業配信(2021年)では、最大で約11万人もの同時視聴者を記録し、VTuber史に残る配信となりました。
この驚異的な数字はファンにとって誇りとなる一方で、他グループのファンとの間で「〇〇は11万出せるのに△△は…」といった比較論を呼び起こし、後々まで対立煽りの材料として使われることにもなりました。
当時、直前に他社の人気ライバーが卒業したタイミングとも重なり、両陣営のファンが敏感になっていた時期でもありました。

にじさんじ甲子園とホロライブ一軍論争(2021年)では、にじさんじの大型イベントが大成功を収め、ホロライブファンとの間で「数字勝負」が激化しました。
この頃から5chのアンチ系まとめサイトでは、ホロライブファンが「ホロライブならもっと数字持っている」とコメントし、対立が過熱。
ファンの間では日ごとに数字を集計する「集計人」が登場し、毎晩のように各配信の同接を貼って煽り合う文化が定着し始めました。
以降も大型イベントのたびに数字比較論争が繰り返される火種となりました。

兎田ぺこら「ヤラセ疑惑」騒動(2023年)では、ぺこらが参加した企画で演出の透明性が問われる事態となり、一時的に視聴者数が減少したとされます。
その数字の変化に対して掲示板では、「事件後に数字が下がっている」「謝罪すべき」「好感度で誤魔化されていたのがバレた」など、数字を根拠に非難が殺到しました。
数字の変動がファンの不信感を助長し、タレント本人へのバッシングに直結してしまった典型例として語り継がれています。

こうした数字をめぐる論争はホロライブ単体に限らず、VTuber界全体の競争構造とも関係しています。
数字が煽りや対立の火種になることを避けるため、にじさんじとホロライブのファン交流を意識したコラボ企画やイベントも開催されるようになり、ファン有志の間で和解ムードを作ろうとする動きも見られるようになりました。

数字は祝福の材料にも、攻撃の材料にもなり得る。
そのことを端的に示す出来事が、ホロライブを中心としたVTuberシーンでは幾度も起きてきたのです。

おわりに

ホロライブにおける「スウジー」文化、すなわち数字至上主義的なファンの在り方について、その起源から影響、賛否両論まで幅広く見てきました。
人気の高まりとともにファンが数字に関心を寄せるのは自然な流れではありますが、行き過ぎた数字偏重はファンコミュニティの分断や推しへの誹謗中傷といった副作用を生み出してしまいます。
ホロライブ運営やタレントは公式には数字競争を煽らない姿勢を取っており、ファン側もマナーを守って節度ある楽しみ方を心掛けることが望まれます。

数字そのものは決して悪ではなく、努力の成果を示す一つの指標でありファンと喜びを共有するための記念碑にもなり得ます。
しかし、その数字の陰には多くの見えないストーリーや価値が存在することも忘れてはなりません。
推しへの愛情やコンテンツの質といった本質的な部分は、時に数字では測れないものです。

ファンそれぞれが数字との付き合い方を見直し、「数字も楽しむが、それに囚われすぎない」という健全なスタンスを取ることが、ホロライブのみならずVTuber文化全体の成熟につながるでしょう。
ホロライブという素晴らしいエンターテインメントを、数字競争ではなく心から楽しめるコミュニティであり続けるために。
ファン一人ひとりの意識が問われているのかもしれません。

管理人のひとこと

個人的にも、配信を楽しんでいる最中に「今◯万人!」「前回より少ない!」といったコメントが流れると、ちょっと残念な気持ちになることがあります。
もちろん、数字を一緒に喜ぶのが悪いわけではありません。
推しが記録を達成した瞬間を分かち合うのはファンとして嬉しいことですし、努力が形になったと感じられる瞬間は、何ものにも代えがたいものです。

でも、数字を“戦いの道具”にしてしまうと、誰かを傷つけたり、コミュニティの雰囲気が悪くなったりするのもまた事実です。
数字はあくまで結果であって、推しの魅力や人柄、配信の楽しさは、数字では測りきれない部分がたくさんあります。
だからこそ、私たちファンが少しずつでも「数字だけじゃないよね」と言える空気を作っていけたらいいなと思います。

ホロライブのメンバーたちは、日々の活動の中で、数字に囚われすぎずに「楽しい」を届けようとしてくれています。
それに応えるように、私たちファンも“数字を超えた楽しみ方”を大切にしていけたら素敵ですね。
この記事が、そんな小さなきっかけになれたら幸いです。

これからも、推し活は楽しく、平和に。

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